浦和地方裁判所 昭和35年(レ)37号 判決 1960年12月23日
控訴人(被告、反訴原告) 森新金融株式会社
被控訴人(原告、反訴被告) 新井治三郎 外一名
主文
本訴につき、本件控訴を棄却する。但し原判決主文第一項中「請求は許さない」とあるのを、「強制執行は、これを許さない」と訂正する。
反訴につき、原判決を取り消す。
被控訴人新井治三郎は控訴人に対して金三〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三四年三月一日から右支払済みまで一〇〇円につき日歩一〇銭九厘の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審共本訴反訴を通じ、これを三分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人新井治三郎の負担とする。
この判決は第三項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、控訴人
(一) 原判決を取り消す。
(二) 被控訴人等の請求を棄却する。
(三) 主文第二、第三項同旨。
(四) 訴訟費用は第一、二審共、本訴について生じた分は被控訴人等の負担とし、反訴について生じた分は被控訴人新井治三郎の負担とする。
との判決並びに(三)項についての仮執行宣言。
二、被控訴人等
本件控訴を棄却する。
との判決。
第二、当事者双方の主張
一、被控訴人等の本訴請求原因
(一) 横浜地方法務局所属公証人国又鎮静が、昭和三四年二月一一日作成した昭和三四年第八四七号金銭消費貸借契約公正書には、「控訴人は、昭和三四年一月二九日に、被控訟人両名及び訴外綿貫岩蔵を連帯債務者として、金四四、四〇〇円を、利息を附せず、弁済方法は昭和三四年二月より毎月一〇日限り、一回に四、四四〇円宛割賦弁済すること、右割賦金の支払を一回でも怠つたときは、期限の利益を失うとの約定で、貸し付け、連帯債務者が右債務を履行しないときは、連帯債務者である被控訴人両名及び訟外綿貫岩蔵は、右債務について強制執行を受けても異議がない旨の認諾をなし、かつ、訴外永石正一が被控訴人両名を代理して右公正証書の作成を嘱託した。」旨の記載がある。
(二) しかしながら、被控訴人両名は、右訴外人に右公正証書の作成を嘱託したことはないのであるから、右公正証書の被控訴人両名に関する部分は作成方嘱託のないものとして無効であるばかりでなく、実体法上も、被控訴人両名は控訴人と右公正証書記載の如き消費貸借をしたことはなく控訴人に対して何等の債務も負つていなのであるから、右右公正証書に基いて被控訴人両名に対して強制執行をすることは許されない。
(三) よつて、右公正証書の執行力ある正本の執行力の排除を求める。
二、本訴請求原因に対する控訴人の答弁
(一) 第一項の事実は認める。
(二) 第二項の事実は争う。すなわち、被控訴人両名は、右公正証書記載のとおり、控訴人に対し債務を負担し、公正証書の作成を嘱託した。
三、控訴人の反訴請求原因
(一) 控訴人は、昭和三四年一月二九日、被控訴人両名及び訴外綿貫岩蔵の三名を連帯債務者として、金三〇、〇〇〇円を貸し付けたのであるが右元金に貸与期間中の利息合計一四、四〇〇円を加えた金四四、四〇〇円について、特に右当事者間に弁済方法は昭和三四年二月より同年一一月迄毎月末日限り四、四四〇円宛一〇回に割賦して弁済すること、約定期日に割賦金の支払を怠つたときは期限の利益を失い、その日から完済まで一〇〇円につき日歩一〇銭九厘の割合による遅延損害金を支払う旨の約定をなし、本件公正証書を作成するに至つたものである。
(二) 右の消費貸借契約は、控訴人が被控訴人両名の代理人である訴外新井キヨと締結したものであるが右新井キヨは、被控訴人新井治三郎の妻であつて、同人から家計一切を委され、金銭出納のことはもとより、万般の家計の処理に当りかつ印鑑の使用を許諾されていたこと、昭和三三年暮から同三四年一月にかけて同被控訴人が運輸省共済組合から金二〇万円を借人れるについては、公正証書作成に使用すべき印鑑証明書の下附を右新井キヨをして神奈川区役所に代理申請をさせたこともあるのであつて、金銭貸借については同被控訴人から広汎な代理権を与えられておつたのであつて、本件消費貸借の締結は右代理権の範囲に属するものである。
(三) 仮に、右新井キヨの行為は同人の本来有する代理権の範囲を超えてなされたものであるとしても、控訴人は右新井キヨに本件消費貸借を締結する代理権ありと信じ、且つそのように信ずるにつき正当な理由があつたものであるから、右契約の効力は同被控訴人に及ぶものである。すなわち、右新井キヨは、前記のように同被控訴人から家計全般の処理殊に金銭出納を一任せられ、前記のように印鑑証明書の下附申請についても代理権を有していたのであり、かつキヨは被控訴人新井治三郎の実印を所持していたこと、控訴人の貸付調査にあたり控訴人の係員に対し代理権を有している旨及び右実印を保管している旨申し述べていたこと、貸付当日である昭和三四年一月二九日に控訴人の営業部長下町時男より念を押された際にも「夫である被控訴人新井治三郎は本件貸借のことは承知しており、夫の云いつけで神奈川区役所から印鑑証明をとつて来たものであり、以前にも右新井キヨが数十万円借りたことがあるが、同被控訴人が昭和三三年暮に家を売つた代金等で右債務をすべて弁済したこともあるから、返済は大丈夫である」旨の返答をしたこと、金額もさほど大した額でもなかつたことから、キヨには当然被控訴人新井治三郎の正当な代理権があるものと信じたのであつて、控訴人がこのように信ずることはもつともであると、しなければならない。
(四) そして被控訴人等は、昭和三四年二月末日に弁済すべき四、四四〇円の支払を怠つたのであるから、同年三月一日限り期限の利益を失い、元金及びこれに対する同日より支払済みまで一〇〇円につき日歩一〇銭九厘の割合による約定遅延損害金を支払う義務があるところ、被控訴人新井治三郎主張の如く訴外新井キヨが貸借において受領した金額は金三〇、〇〇〇円であるから、同被控訴人に対し右金額に叙上の割合による損害金の支払を求める。
(五) よつて、連帯債務者の一人である被控訴人新井治三郎に対して右金員の支払を求める。
四、反訴請求原因に対する被控訴人新井治三郎の答弁
訴外新井キヨが被控訴人新井治三郎の妻としてその家計一切を委されていたことは認めるが、その余の主張事実は、全部否認する。仮に新井キヨの行為につき被控訴人新井治三郎が責を負うべきものとしても、キヨが控訴人から受領した金額は三〇、〇〇〇円であるから、控訴人主張の消費貸借は右三〇、〇〇〇円の限度においてのみ効力を生じたものである。
第三、証拠
当事者双方の証拠の提出、援用、認否は、次のとおり訂正附加する外、原判決事実摘示と同一であるから、ここに引用する。
一、被控訴人等
甲第一号証の二、四、五は被控訴人等の作成部分は偽造にかゝるものであり、印影は何人かの盗用によるものであると、訂正し、甲第一号証の三を撤回し、甲第一一号証、第一二号証の一ないし三、第一三号証の一ないし四を提出し、当審における被控訴本人新井治三郎の尋問の結果を援用し、乙第三、第四号証は被控訴人等作成にかかる部分の成立を否認し、その余の部分は不知、印影は認める、と述べた。
二、控訴人
乙第三、第四号証を提出し、当審における証人下町時男の証言を援用し、甲第一号証の二、四、五はいずれも真正に成立したものであり、甲第一一号証、第一二号証の一ないし三、第一三号証の一ないし四の成立を認める、と述べた。
理由
一、被控訴人等の本訴請求について
(一) 横浜地方法務局所属公証人国又鎮静作成昭和三四年第八四七号金銭消費貸借契約証書には、被控訴人等主張の如き消費貸借契約が成立したこと及び執行認諾の意思表示をした旨の記載がなされていることは、当事者間に争がない。
(二) 右公正証書の作成につき考えてみるに、右公正証書の作成嘱託に関する委任状である甲第一号証の二には被控訴人等の印影があり、右印影が被控訴人等のものであることは当事者間に争がないが、当審及び原審(一、二回)における被控訴本人新井治三郎尋問の結果及び原審における被控訴本人新井君枝尋問の結果によれば、訴外新井キヨが、新井治三郎の承諾又は了解をうることなくほしいままに同被控訴人等の印鑑を盗用して前記委任状を作成したことが認められ、控訴人の全立証その他本件全証拠によるも被控訴人等が前記公正証書作成の嘱託を訴外永石正一に委任した事実は認めることはできない。従つて、右公正証書は代理権のない訴外新井キヨによつて委任された訴外永石正一の嘱託によつて作成されたことになり、無効である。よつて右公正証書の執行力の排除を求める被控訴人等の本訴請求は理由がある。
二、控訴人の反訴請求について
(一) 控訴人主張の消費貸借契約の成立について按ずるに、原審における証人新井三郎の証言(一、二回)及び当審における証人下町時男の証言によれば、訴外新井キヨ及び訴外綿貫はしめが、それぞれ被控訴人両名及び訴外綿貫岩蔵名義で、右三名が連帯債務者であるとして、控訴人より昭和三四年一月二九日に金三〇、〇〇〇円を控訴人主張の約定で借り受けたことが認められる。
(二) そこで右消費貸借について右新井キヨが被控訴人新井治三郎の代理権を有していたか否かについて按ずるに、同被控訴人が右消費貸借について了承していた旨の、原審における綿貫はしめの証言は後記の各証拠に照らして措信できず、右消費貸借に際して作成された乙第一、第三、第四号証には被控訴人等の記名押印があるが、当審及び原審(一、二回)における被控訴本人新井治三郎尋問の結果によれば、前記新井キヨがほしいままに被控訴人両名の印鑑を盗用して右乙第一、第三、第四号証を作成したこと及び被控訴人両名は右消費貸借には全く関知しなかつたものであることが認められ、結局、新井キヨが被控訴人新井治三郎の代理人であつたことは控訴人の全立証その他本件全証拠によるも認めるに足りない。
ところで、右新井キヨが被控訴人新井治三郎の妻であり、本件消費貸借契約締結当時は共同生活を営んでいたことは当事者間に争のないところであるが、成立に争のない甲第一一号証および当審における被控訴人新井治三郎の供述によれば被控訴人新井治三郎は気象庁総務部管財課に勤務する職員であつて、その月収は約三五、〇〇〇円程度であることが認められ、原審における被控訴人新井君枝本人尋問の結果によれば同人は治三郎の長女であつて、他に雇われその月収は約八、〇〇〇円であること、治三郎等の家族の生活費は月二万五千円程度であることが認められるから、金額三〇、〇〇〇の本件消費貸借は、被控訴人新井治三郎にあつては一応日常の家事の範囲を逸脱したものというべきであろう。従つて民法第七六一条によつて、被控訴人新井治三郎に前記新井キヨのなした本件消費貸借について連帯責任を負わせることはできないものと解さねばならない。
(三) よつて、進んで控訴人の権限踰越による表見代理の主張について判断する。
先ず基本代理権の存否について考察するに、権利の主体を個人及び法人に限定し、法定財産制として夫婦別産制を採用し、婚姻費用については夫婦の分担とし、かつ日常家事債務は原則として夫婦の連帯債務とする民法の立前から考えれば、夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をする場合には、(イ)専ら本人として法律行為をする場合と(ロ)一部は本人としてその余の部分は他の一方の代理人として両者を兼ねて法律行為をする場合と(ハ)全く他の一方の代理人としてのみ法律行為をする場合があろうかと考えるのであるが、(ロ)(ハ)の場合には特に他の一方の授権のない場合にあつても、共同生活を営む夫婦の実情からみて、それぞれ他方の代理権のあるものと解することが夫婦という生活共同体の本質に沿うことであり、この場合特に夫婦の一方が他の一方、すなわち本人の為にすることを顕示する必要はなく、右の限度において夫婦は互に相手方の代理人となるものと解するのが正当である。しかしながらこの場合法律行為の相手方にとつては前記のような夫婦の内部的な代理関係を明らかにすることができなければ、法律行為をすることができないとすれば、円滑な日常家事に関する取引は、ほとんど不能となるであろうから、相手方の保護と取引の円滑を期することが必要となるのであつて、民法第七六一条が、日常の家事による債務につき夫婦の連帯責任を認めている理由の一は、こゝに存するものと思われるのである。
従つて、前記新井キヨの日常家事代理権を以て表見代理の基本代理権と解することができる。
次に、控訴人は果して右新井キヨが本件消費貸借につき被控訴人新井治三郎の代理権を有していたと信ずべき正当な理由を有していたか否かについて考えるに、原審における証人新井三郎(一、二回)及び当審における証人下町時男の各証言によれば、前記新井キヨから借用の申込のあつた日の翌日に控訴人会社の専務取締役である新井三郎が新井宅へ調査に赴き、その際新井キヨは右新井三郎に対し、夫である被控訴人新井治三郎から家事一切を任され、以前に新井キヨが他から借りた三、四十万についても以前住んでいた家を売つて得た代金で夫が支払つてくれたこともあり、今回の借金は家の新築するためのものであるから夫は承知しており、夫の依頼により印鑑証明を取つて来たものである等と述べ、かつ、現に印鑑証明書と実印とを差し出したので、調査に当つた新井三郎は新井キヨが被控訴人新井治三郎から本件消費貸借について代理権を授与されたものと信じたものであることが認められる。右のような新井キヨの態度と金額も三〇、〇〇〇円程度の比較的軽少の金額であり、当時同居していた法律上の妻たる者がこの程度の金銭の借用につき夫から代理権を授与されることは屡々あることを考慮すれば、控訴人が、右新井キヨに、本件消費貸借について被控訴人新井治三郎の代理権があつたと信ずるについては、正当な理由があるものといわなければならない。
(四) 以上の理由により、被控訴人新井治三郎は訴外新井キヨのなした本件消費貸借につき本人として責に任ずべきであるから、控訴人の同被控訴人に対する反訴請求は理由がある。
三、結論
よつて、原判決は、本訴については正当であつて、本件控訴は理由なく、反訴について以上の認定と異るからこれを取り消し、控訴人の反訴請求を認容し、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条、第九二条、第一九六条を適用し、尚原判決主文第一項のうち「請求は許さない」とあるのは「強制執行は許さない」の誤りであるので同法第一九四条によりこれを訂正し、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡咲恕一 岡岩雄 篠田省二)